「リスクを負うこと」と「逆境」

2023/12/04

人間の本能の一つとして、「もっと」欲しがることがあります。欲しいものは、もっと強いパワー、さらなる安らぎ、もっと親密な関係、もっと多くのお金、もっと大きな権力、もっと良い人生とさまざま。しかし、「もっと」を手に入れることは、多くの場合、心が休まらない状況に身を置くことでもあります。木になっている一番みずみずしいリンゴを手に入れるには、高い所に登って手を伸ばす必要があります。つまり、はしごから落ちるリスクを冒さないと手に入れられないのです。

このリスクを冒す旅に出ると、予測不能な状況に足を踏み入れることになります。多くの場合、身体的にも経済的にも社会的にも、特に感情的に心地悪さを感じるものです。より多くを成し遂げるための道は、快適さで舗装されていることはまずありません。「気まずい」「自分には向いていない」「得意分野ではない」など、居心地の悪さを感じながら長い時間を費やすことになります。身体的な負担、経済的な不確実性、社会的な不安、そして恐怖心と高揚した気分がやみくもにタンゴを踊り神経をすり減らすような感情のジェットコースターと格闘することになります。

「もっと」の追求には学習が必要

「もっと」を目指すには学びが必要不可欠です。子どもの頃、何かを学んだときのワクワクした気持ち、驚き、恐れは、混然一体となって混ざり合い、当時の自分に影響を与えたものですが、学ぶ機会があるたびに、その感情がよみがえって、今の私たちを子どもの頃に戻ったような気持ちにさせてくれます。学ぶことの主題は、変革をもたらすことではありません。スタート地点と、そこからどこまで到達しようとしているのかということが大切です。学びは絶対的なものではなく、相対的で奥深く、個人的なものです。例えば、下半身不随の人が歩くことの複雑さを再発見する旅は、10代の若者が車の運転を学ぶのと同じくらい多くの努力が必要なことですし、ダウンヒルスキーヤーがスノーボードを学び、ハーフパイプを制覇するために悪戦苦闘する精神と、自分の店を経営するために起業家として一歩踏み出すネイリストのチャレンジ精神は一致します。ある人にとっては日常的で普通なことであっても、別の人にとっては並外れた成功となるのです。

逆境-成長するのための活力

学びにおいては、誰もが逆境からのスタートです。十分にお金を稼げない、仕事が嫌い、知識が足りない、山を登ることができないなど。でも、逆境は私たちを成長させてくれるものです。それは時には不満という形で、あるいは自己成長していることの自然な表れとして私たちの意識に忍び寄ったり、はたまた事故や大病という形で私たちに強いられる可能性もあります。それがどのような形で現れるにせよ、私たちは逆境から大成功へ、悪戦苦闘から勝利へと飛躍することを強く望んでいます。この道を行く中で、私たちは新たな考えに出会い、新しいスキルを磨き、進化する信念を受け入れ、新たな態度を身につけます。逆境に立ち向かい、成功に向かって背伸びをする。 それによって私たちは成長するのです。

成長するためには、そこに到るための痛みと、望む結末を天秤にかけなければなりません。  ノーリスク・ノーゲイン(虎穴に入らずんば虎子を得ず)。 快適さや気楽さを選ぶと、達成という報酬をあきらめることになります。それでも、プロのアスリートたちが教えられていること、つまり「毎日、自分が何か少し怖いと思うことをすれば」、私たちは自分の限界を超え、新たな領域へと進むことが可能になります。 自分のコンフォートゾーンを出ることで変化が起き、自分に自信を持つことができ、限界を超えることが容易になって、より大きな課題に立ち向かい取り組むことができるようになります。かつては自分の中に洪水のごとく不安を感じさせた緊張のエネルギーを運動エネルギーに変えるのです。 そうなると、私たちの成長は誰も止められなくなります。

存在の壮大なタペストリーの中においては、私たちの旅は、より多くの成長、より多くの理解、さらなる自己の習得など、「もっと 」を求める冒険です。この追求は臆病な人や楽であることを求める人のためのものではありません。あえて自己満足することなく、成長できるなら心地の悪さもいとわず、成功の頂点には不安の谷を経て到達されることを理解している人のためのものです。

願望と達成の狭間、つまり不確実性の領域の真っただ中に、リスクや回復力、報酬が果てしなくダンスをするかのように、成長という素晴らしい経験をすることができるのです。

成長のためにリスクを冒したり、逆境に立ち向かったりした経験がありますか?

訳=川崎あゆみ